LE SSERAFIM ユンジン、アメリカに生きるアジア人の厳しい現実に直面していた・・ 彼女を絶望させた不条理とは?「自分はどうしてアジア人に生まれてきたんだろう」

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LE SSERAFIM ホ・ユンジンが、幼い頃にアメリカで実感したという不平等について明かした。

9月17日、LE SSERAFIM公式YouTubeに、LE SSERAFIMのデビューまでの過程を映したドキュメンタリー「LE SSERAFIM (르세라핌) Documentary ‘The World Is My Oyster’」がアップされた。メンバーが正式に確定する前の段階から、デビュー候補生だった彼女たちに密着、その苦悩や成長が描かれている。

そんな動画の中で、ユンジンがK-POP歌手を目指すことになった理由について言及している。アメリカで育ったユンジンは、幼いながらに現地である不平等を感じていたと明かした。

動画はこちら【該当シーンは11分50秒頃~】

幼い頃からステージに立つのが好きだったと言うユンジンだが、本格的に歌手になりたいと考えるようになったのは中学1年生の時だったという。

しかし、そんな彼女を待っていたのは厳しい現実だった。テレビを見ていたユンジンは、ある事実に気づいたのだ。「アメリカでは東洋人だとテレビに出られないのかな」と思うようになったというユンジン。というのも、アメリカのステージで活躍するアジア人が非常に少なかったのだ。

アメリカではテレビに東洋人がほとんど出ていないということに気づいたという

ユンジンは、「テレビを見たら私のような人がいないんです。それですごく傷つきました」と、当時の心境を語った。アメリカでの不平等な現実に彼女は、「自分はどうしてこういうふうに生まれてきたんだろう」「私はこれ(アジア人であること)のせいで夢をあきらめなければいけないのかな」と絶望していたというのだ。

そんな絶望は、彼女をステージに上らせる勇気や気力をも奪ってしまった。それ以降は表には出ず、作曲や作詞、演奏に力を入れるようになったという。音楽を作る側に回ってからは、その楽しさに気づき、夢中で音楽を作り歌詞を書きながら自分をなだめていたと明かした。

「その頃から作詞作曲を始めました。たくさんの曲を書き、演奏を学びました。音楽を通して自分のストーリーを語る方法を初めて体験し、とても感動しました。とても楽しくて魅力的でした。自分が書いたメロディーや歌詞が慰めになっているような気がしました。」

その後ユンジンは、自身がステージに立てる韓国に活動の拠点を移し、練習生として数多くの困難を乗り越え、ついにLE SSERAFIMとしてのデビューを叶えた。

不平等に直面してもなお夢をあきらめず、国境を越えてついに夢を叶えたユンジンに、称賛の声が上がっている。

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